2005年5月、東京医科大学八王子医療センター移植者協議会「やまゆり会」宛に移植についての取材が来ました。
最終的に誰が受けるか?役員で相談していたけど、みなさんお忙しいようで、「誰もいないならやる!」ってことで、
取材を受けに、日本映画学校へ行ってきました!

取材の前の日の晩担当の方と連絡を取り合い、現地集合で今日の13時に、ってことになりました。
取材先は「日本映画学校」。
映画学校がなぜ移植を??と、皆さん思うかと。
「人間研究」という実習で、臓器移植というテーマを取り扱っていてということで、最終的に「レシピエント代表?!」で、私に白羽の矢が当たったのでした!
(私みたいな「移植オタク」でいいのだろうかノ(-"-;) )と悩んだものの、せっかくの移植を知ってもらうチャンスだと思って、しゃべりまくって参りました(^^;;;
企画書を読むだけで、特に何について話そうかとかは、あまり考えない事にしました。
自分がプレゼンをする場合だったら、色々練っていくんだけど、あくまで聞かれた事に答える事に徹する事が出来ればー。と思っていた。
いざ、目の前に9人の学生さんがいて、あちらこちらから来る質問に対して、しどろもどろで答えながらも(あー、少しでも質問を想定して、答えをまとめておけばよかったかもー!(^^;;;)なんて反省をしつつ、ひたすら質疑応答、という感じでした。
聞けば10代後半から20代はじめの方ばかり。
私の生年を聞き、「ちなみに何才ですか?」という質問から(爆)
1969年は何才かわからない世代なんだー!!!とまず衝撃の一発め。
逆に皆さんの生まれ年を聞いても、つい最近の思い出なんか、思い出すであろう私だったりする(-"-;)
ま、歳はさておいて。
簡単に経歴からざざーっとお話する。
そんな中から質問がちらほら飛び出す。
結構ストレートな質問があったけど、逆にもっと突っ込んでくるかと思っていたので、そういった質問は少ない気がした。(例:脳死はヒトの死だと思いますか?等)
移植後の精神面の話を主に聞きたがっていたようでしたが、移植を語るには、まず透析の辛さも語らなくてはノなので、どうしても透析に話がそれがちだった。
透析については、話を進める中で、皆さんあまり知っている感じがしなかったので、ちょっと説明がしずらい部分があったなー、反省。
後は、「コーディネーターはなぜ増えないと思いますか?」という問いに対しては、「やっぱりなりたい!と思う事にはパワーがいるし、まだ未確立な世界だからなぁー。実際看護師さんがなろうとしても、現状の勤務体勢では、勉強をする間がないのが現実かも」なんて答えてみたり。
ひとつの病院に一人いない場合があったり、看護師と兼務だったりと、病院によってさまざまなんだよねぇ。
いないっていう病院もあったなぁ。
「その場合はレシピエントの方は、どう悩みを解決するのでしょうか」
うーん(-"-;)
やっぱり家族やDrに相談するしかないのかなー。なんて、お茶を濁す感じで答えてしまった!スイマセン。
「私自身も目指した時はあったけど」なんて事を話したら、「レシピエント側ではなく、ドナーコーディネーターになろうと思ったりしませんでしたか?」というするどい質問が!
「やはり人が亡くなる場面で、「下さい!」とは私は言えないなー」なんて言っちゃったけど、その人の人生そのものに介入する勇気がなかっただけかも知れないなー。とか、「移植を受けた人にはわからないだろう!」って言われたらノ。なんて、今さらながら思った。
「私自身が不安に思う事は?」
「それはもう!「いつ透析に戻るか??」に尽きますよ!!」なーんて話をしたけれど、大事な事を忘れていた!「薬の副作用」もだった!!
移植直後はムーンフェイスに悩み、ステロイドにきびや多毛などなど。
薬が多い時期は何かと問題があったなー。
すいません、これも抜けていました!
特に若い女性には、これらの薬による副作用も、精神的なダメージにつながるんだよなぁ。
最初に厳重注意されたんだった。「顔が丸くなるからといって、薬を飲むのをやめちゃだめだよ」って。
透析の話に戻るけど、「透析って週何回か行くっていっていましたけど、行き忘れちゃうってないんですか?」
「さすがに命がかかってるんで(爆)それはないですね(^^;;;」なんて答えたり。
そう、知らぬ間に身体が透析室へ向かっていたのでした。
私のサイトのGift Of Lifeのページには、今まで受けて来た取材やら啓蒙活動やらの事が書いてあるんだけど、ただひとつ、載せていないものがあって、それが「ギミアぶれいく」の取材だった。(ただ単に、取材を受けた時が、webを立ち上げていなかったので)
その事も折に触れて話しをした。
移植の電話がかかってきて、病院で夜中に最後の透析を受けている所と、手術室に運ばれる所、手術中(!)の私のおなかの中(爆)なんか、思いっきりうつってまーす♪なのでした。
(その後、生徒さんにビデオを貸し出しし、見て頂きました(^。^))
もちろん腎移植だけでなく、アメリカでの肝移植や、透析に戻ってしまった人の話、移植コーディネーターの活動の全容、レシピエントの家族の話まで、多岐に渡る。あそこまで突っ込んだ映像を流してくれる局は、いまやもうないのでは?と思うくらい貴重なものなのです。
あれは私が初めての移植を受けて入院していた時で、退院前日に放送が決まったと連絡を受けて、ドキドキしながら病棟のベッドで(正座しながら(>▽<))見ていたもので、友達に番組を録画してもらっていたものでした。
今日、それを久しぶりに見てみたのだ!!
今まで、何かあると「反省」の意味を込めてみていたのだけど、映像は今でも強烈なインパクトのあるもので、映像の中で活躍されているコーディネーターは、いまや亡き人だったりする(/_;)
今とは違った意味で、「移植が盛り上がっていた」時期だったような気がする。
皆、生体にしても献腎にしても、移植を受けてどんどん元気になって、社会復帰していっていたなぁ!
もちろん私を含めて何度も出戻りをした方もいたけれど。
今、データがガタガタきているけど、やっぱりまだまだ私はがんばるべき!!とまたしてもハッパをかけられる思いで見る事になった。
亡き玉置さんの「頑張り」に報いるためにも、元気でい続けなくては。
最後に皆さんと記念撮影をしたので、載せますね♪
10代、20代の生徒さんに囲まれて色々なお話をしているうちに、どんどん元気になっちゃいました\(^▽^)/
あ〜。
久々に移植について語りまくりで楽しかった(^_^)v
おかげさまで元気になりました〜(笑)

追伸:実はこの取材の後にもう一回、日本映画学校には足を運んだのでした。「もう少し詳しくお聞きしたいことがありまして…」ってことで、またまたお話して来ました。
みなさんとても素直で実直な学生さんばかりで、日本の未来は安泰だな、と(笑)
残念ながらこれは授業の一貫なので、外部には出ないものなのですが、移植を取り上げてくれてありがとう(^-^)素晴らしい作品が完成しますように♪

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